隠田集落の熊本・五家荘

熊本県八代市泉町の標高1,300m~1700mの急峻な山々に囲まれた五家荘(ごかのしょう)は、かつて壇ノ浦の戦いで敗れた平清盛の孫の清経らが、姓を「緒方」に改名し、隠れ住んでいたといわれている。五家荘というのは地名ではなく、久連子・椎原・葉木・仁田尾・樅木の5地域の総称である。緒方家が久連子・椎原・葉木を、また、仁田尾・樅木は、京の都を藤原氏一族に追われた菅原道真の子孫たちが、姓を「左座氏(ぞうざし)」に改名し、支配していたといわれている。
写真は、江戸時代に建造された緒方家の屋敷である。茅葺き屋根を持つ重厚な造り合掌造りで、その中でも珍しい兜造り屋敷であり、2階に隠し部屋がある。
五家荘一帯は、約60年前までは道らしい道さえなかったが、現在では、舗装されて国道や県道が通っており、鮮やかに染まる紅葉の時期には多くの観光客が訪れている。
また、みなさんは、写真②の看板がどのような意味か分かるだろうか。九州を中心とする西日本では、山道や狭い道路で対向車とすれ違うときに「離合」という一種の方言を使う。すれ違いやすく広くなっている場所を「離合箇所」と言ったりもする。
写真② 狭い道路でよくみかける「離合」の看板
(2015年4月 深瀬撮影)
